ピンチはチャンス~私の動物病院開業物語~
目次
人生の転機
人生の転機って、誰しも自分の人生を振り返った時にいくつかあるかと思う。
そう。あの日。
あれは私にとっての大きな人生の転機だったと思う。
今から10年前の10月12日。
会社の全体集会。
・・・・めったに全体集会なんかしない会社がなんで、、、、・・・・
「W(会社名)は来年1月12日を持って閉鎖します。
1月末をもって全社員解雇します。」
・
・・
・・・・
・・・・・・・・
言葉にならない驚き。
そこから私の人生は大きく変わることとなる。
つづく。。。
解雇通告
会社の都合で倒産する場合には3カ月前に従業員に伝えれば良い
というのが法律らしい。
だからピッタリ3カ月前の解雇通告。
というのは後から気づいた。
リーマンショックやらで不景気真っ只中だったけど、まさか自分の勤める会社が倒産、そして自分が解雇されるとは正直思っていなかった。。。
当時、私は会社員だったけど、ただの会社員ではなかった。
私は獣医師で、当時はその会社の経営する病院の雇われ院長だったのだ。
つづく。。。
天国と地獄
動物病院で働く獣医師には院長先生と呼ばれる先生とそうでない先生がいる。
院長先生は自分の病院だから、自分のやりたいように診察をやれる自由がある。
しかし、病院の売上も考えなければいけないし、給料の保障はない不安定さがある。
院長先生でない先生は、病院の方針や場合によると院長先生の指示に沿って診察をやらねばならない不自由さがある。
しかしながら、給料の保障はある、安定した立場。
どちらがいいかって???
それはその人次第だが、、、
どちらの利点も持っている獣医師がいる。
それが雇われ院長とよばれる獣医師。
大きな会社組織の動物病院の場合は、雇われ院長のことがよくある。
雇われ院長は病院の中ではトップだから自分の好きなように診察をやれる自由があり、なおかつ、会社だから給料の保障もある、安定的な立場。
解雇通告を受けた時、私は雇われ院長だった。
給料が一般的な雇われ院長より少なめだったのが多少、不満ではあったが、自由にのびのびと仕事ができる、、私には天国だったかもしれない。
それがあの全体集会の後、地獄に落とされた。。。
つづく。。。
テーマパークと獣医師
東京近郊のいわゆるニュータウンと呼ばれる地域に私の勤める会社はあった。
いや、
正確には会社が運営するWというテーマパークがあった。
今ではあまり見なくなった犬や猫と触れ合えるテーマパーク。
お散歩体験ができたり、ドッグトレーナーによるドッグショーが見れたり、犬達がレースで競うのを投票するようなゲームもあった。
犬は約100種類、300頭いるというのがちょっとしたウリ文句だった。
私はその犬達を診察する獣医師だったかというとそういうワケではない。
テーマパークに附属して一般の飼い主さん向けのドッグランやドッグカフェ、トリミングサロン、そして動物病院があった。
私はそこの動物病院の院長だったのだ。
そして全体集会ではこのテーマパークと飼い主さん向けの全ての施設が閉鎖するという事が告げられた。。。
つづく。。。
1人前
1人前と呼ばれるようになるためには、普通、何年間かかかるもので、仕事によってどの位の時間がかかるかは異なるものである。
動物病院で働く獣医師の場合、大学を卒業して、動物病院に入って沢山の臨床の経験を積んで1人前になる。
卒業前には国家試験があるが、国家試験を合格したからといっても1人前としてすぐになんでも診察できるわけではない。
ましてや獣医師の場合、人のように専門分野が分かれていない。
内科も外科も、歯科も、眼科も、産婦人科も、、、全ての科を一通り診れるようでないと務まらない。
1人前になるまでには、人それぞれ差はあるが、3年位、動物病院で働けば大丈夫と10年前には考えられていたように思う。。
1人前になったら開業する人もいる。
もちろん勤務医として勤め続ける人もいるし、大学病院のような大きな病院でより高度な技術を学ぶ人もいる。
私がWで雇われ院長として働いていたのは、大学を卒業して8年目の事だった。
つづく。。。
転職~獣医師の場合~
ひと昔前と違って今は、仕事が合わないと思ったら転職をするのが一般的かと思う。
獣医師も転職することがよくある。
いや、一般の仕事よりも技術力がある分、より気軽に職場を変える人が多いのではないかと私は思う。
特に動物病院で働く獣医師の場合、ひとつの動物病院でず~~っと働き続けるというよりは、どこかのタイミングで別の動物病院へと変えるということも珍しくはない。
より高度な技術を得るためにとか、学びたいことがあるために職場を変えることもあるが、動物病院の場合、いわゆるブラックが意外と多いので、職場が耐えられずに、、、、というのはよく聞く話だ。
また臨床の仕事が合わないから、、、と製薬会社や公務員へと転職する人もいる。
私が解雇通知を受けたWへは転職で入った会社だった。
つづく。。。
不器用な獣医師
大学を卒業してすぐ私は埼玉県にあったTアニマルメディカルセンターという動物病院に入社した。
新卒の獣医師は私以外にあと二人(女子と男子)がいた。
どうしても同期がいると、周りと比べられたり、自分自身も同期と比べがちになる。
私はというと、大学時代に臨床系のゼミ室にいたのでちょっとは診察などもわかっていたが、そのアドバンテージもわずか1か月位の事で、
しばらくすると同期から遅れをとり始めた。。。。
採血をしても何度も何度も上手くいかず、、、、、
手術をしても同期に比べてものすごく時間がかかる、、、、、
同期と比べて本当にうまくできない子だった。。。。。
動物病院に入社して初めて、私は不器用で臨床の獣医師に向いていない、、、、、
ということを痛感した。。。。。
つづく。。。
食事係
私は病院で働き始めてすぐに
自分は臨床の獣医師にむいていない!!
と気づいたワケではなかった。
実はそれに気づくまでには時間がかかった。。。
動物病院は院長先生一人と看護師さんが一人か二人というのが圧倒的に多いが中には獣医師が何名もいるような病院もある。
私が卒業してすぐ勤めたその病院は院長以下獣医師が10名位いるような大きな病院だった。
近所の病院で対処できない症例なども紹介され、また大学病院でやるような大きな手術もするような病院だった。
なので獣医師には高度な技術と知識が求められる。
が、
新卒の獣医師はまずは下積み。
主な仕事は入院している動物達のご飯をあげること。
なので新卒の獣医師は「食事係」と呼ばれていた。
幸か不幸か、しばらくは自分が臨床獣医師に向いているかどうかなど私はわからずに過ごしていた。
つづく。。。
新卒獣医師の仕事
新卒獣医師には食事係以外にも与えられた仕事があった。
それが先輩獣医師の診察や検査などの補助。
補助をしながら、先輩獣医師を見て学ぶ。
今は先輩から教えてもらって新卒獣医師は学んでいくのが多いかと思うが、ひと昔前、私が新卒だった20年位前は教えてもらうのではなく、自分で調べて学ぶ、先輩を見て学ぶ。
場合によったら盗み見て学ぶ、、、が一般的だったように思う。
学生時代、大学の動物病院の手伝いをしてしていたので、診察の補助や、採血や処置の際に動物が動かないようにする保定にはちょっと自信があった。
しかし、先輩のA先生が犬の耳処置をするのに保定をした時、私は上手くできなかった。
犬が動かないように、色々工夫して保定をしたつもりだが、スキを伺って上手く犬が動いてしまう。
思うように処置が進まず、先輩がイライラしている雰囲気が、私にも伝わってきた。
・・
・・・・・
・・・・・・・・・
そして、、、
先輩はキレた、、、、、、
「おまえは保定も出来ないのか!!
他の先生に変われ!!!」
飼い主さんがその場にいない事もあり、思い切り叱られ、私は別の先生に変わってもらった。
A先輩は特に女性獣医師には厳しかった。
入社して1カ月が経ったった頃。
私が初めて仕事を辞めたいと思った時のことだ。
つづく。。。
逃げるが勝ち
仕事をしていたら、誰でも1度や2度辞めたいと思うことはあるだろう。
私も1度や2度、
いやいや。。
思い出せないほど、そういう事を考えていた時期があった。
またA先輩から怒られるかも、とビクビクしていることもあったが、
自分がもっとできる獣医師だったら、あのコを救えたのではないだろうか、、、、
とか
なんで自分はこんなに不器用なんだろうか、、、、
とか
自己嫌悪のスパイラルに陥り、逃げたくなることがよくあった。
しかし、
しかし、
私は逃げなかった。
いや、
逃げられなかった。。。。
私が勤めていたその病院は、人の入れ替えも多く、さっさと辞めて別の病院に行く人もいた。
私はというと、他人に遠慮しがちな性格が災いして、辞められずにグズグズしていた。
・・・この状況で自分が辞めたら他の人に悪いなぁ・・・・
そんなこんなで、私は辞める時期を逸してしまっていた。。。
つづく。。。
命とお金
そして。。。
気づくと3年も時が経っていた。
石の上にも3年とはよく言ったもので、3年働いていたら、ある程度の診察も手術も人並みにはできるようになっていた。
3年経って、私の給料は20万円になっていた。
国家試験に合格し、獣医師として入社した時の私の給料は18万円。
雇用保険のみで社会保険や年金はなかった。
具合いの悪い犬や猫がいて治療のために、夜間まで病院にいることがあったとしても、、、
たとえ夜間に緊急手術があっったとしても、、、、
残業代は・・・・・
全くなし。。。。。
動物の命のためにはお金は関係ない、
診るのが当たり前でしょ、の世界だった。
怖いA先輩も開業するからと辞め、
そして
気づくと一緒に入社した同期も、先輩も他の病院に行ってしまい、いなくなっていた。
4年目になった時、私は常勤の獣医師としては一番上の立場に立っていた。。。。。
つづく。。。
辞める決意
入社して4年目で、
周りの人が辞めていなくなったからとは言え、
職場の中でトップの位置になった私はストレスの連続だった。。。
自分の患者さんを見ながら、後輩の指導もしなければならない。
終電ギリギリだったり、
夜中に入院しているコを見に来なければならないこともざらにある。。。。
(くどいようだが、残業手当とかはもちろんない)
そして獣医師が一人、また一人と辞めていく中、残された者の負担はハンパない。
だんだん耐えられなくなってきた私は、いよいよ逃げる事を考え始めた。
この状況で、他の病院に行くから辞めさせてください、
とは院長に言いにくく。。
で、
挙げ句の果てに考えた方法。
結婚するから辞めます!!
にしようと私は決めた。
これならば引き止められまい。。。
この時、私は32歳。
結婚を考えている相手もいたし、実際に結婚したいこともあり、これでいい!と思い院長に告げた。
でも、「繁忙期が終わるまではいて欲しい」と引き止められ、
結局のところ、私は卒業して5年目の5月末までそこに勤めて辞めることになった。
つづく。。。
治せない病気
私がTアニマルメディカルセンターを辞めようと思ったのは精神的・肉体的にもいっぱい、いっぱいになってしまったからだが、実はもう一つ大きな原因があった。
それは西洋医学の限界を感じたからだった。
動物の病気を治すために治療をしても、どうしても治せない病気がある。。。。
また治すというより薬でコントロールするしかない病気もある。。。
動物も人と同じくガンや心臓病、糖尿病などにもなるし、アトピーなどにもなる。
なんとか他に方法はないのだろうか、、、、
と思っていた時に東洋医学やドイツの自然療法なども治療に取り入れている病院があるのを私は知った。
それが、W動物病院だった。
家から少し離れていたが、通える距離であったので私はこの病院に就職することにした。
つづく。。。
棚ぼた院長
私がW動物病院に入社を決めた時には、私と同じ年齢位の男の院長先生と一人だけ看護師さんがいた。
そして私が入社すると同時にその看護師さんは辞めてしまったので、院長先生と私だけになった。
しかし、獣医師だけ2名いても仕方がないので、会社はW動物病院の向いにあった動物看護師専門学校からTさんという卒業したての看護師さんを採用した。
しかし、
しかし、
W動物病院は土日はそこそこ患者さんが来るが、平日はほとんど患者さんが来なかった。。。。
人があまりいても、、、
というこで通勤時間が2時間位かかる院長先生は土日だけ来るようになり、平日は私と看護師さん1名で病院をやっていくこととなった。
そしてその3か月後位に、院長先生は開業するから、、、と辞めてしまった。
残された私と看護師Tさん。
そして、
成り行きで、私はそのまま院長になった。
これぞ、棚ぼた???
院長としての私の生活がスタートした。
つづく。。。
ずっとこの病院で、、、
院長と言っても、会社に雇われている、雇われ院長だった私は、以前のブログにも書いたように、恵まれた状況にいた。
やりたいように診察ができる。
うるさく言う先輩などももちろんいない。
そして自分が頑張れば頑張るほど、患者さんからも感謝され、やり甲斐をひしひしと感じる状況だった。
それだけではない。
W動物病院は小さな病院で患者さんも少なかったので、夜間までかかるような事もほとんどない。
定時に仕事は終わる。
私は卒業して初めて、仕事後に習い事や人と会うなどの余裕が持てるようになった。
そして、、、
給料は患者さんが来ようが来まいが、しっかり保証されている。
また私がやりたかった動物の鍼治療なども、テーマパークにいた犬を使って実際に練習を兼ねて治療する事もできた。
私はずっとこの病院で働いていこう!! と思っていた。
しかし、
しかし、
私の想いは見事に打ち砕かれる事になった。。。。
あの解雇通告で。。。
つづく。。。
既に決まっていたこと。
今、思い返すと、あの解雇通告があった全体会議の2ヶ月位前にも全体会議はあった。。。
そこでは、初めて社員達に会社の業績が悪い事が告げられた。
色々な支払いが遅れている事も伝えられた。
もし支払いが滞っているために納品が遅れるような場合は上の者に相談するように、、、とも伝えられた。
また節約出来る事があれば節約するようにと。。。
業績が悪い
そういう話を聞いても私は驚かなかった。
なんとなく、それは感じていた。
会社では必ず朝、テーマパークの広場に全スタッフが集合して朝礼があったのだが、その時に必ず前日の入場者数や部門ごとの売り上げが読み上げられていた。
私が入社してから2年経っていたが、最近の入場者数やテーマパークの売り上げは私の入社した時より明らかに落ちていた。
時々、テーマパークの売り上げよりも病院の売り上げの方が高い日があると、私は、ふふん、とちょっと鼻高々だった。
やっぱり業績が悪くなっているんだとその時は思った位だったが、後から考えるとこれはあくまでも予告で、
既に倒産は決まっていたのだろう。。。。
つづく。。。
寝耳に水
「Wは1月12日を持って閉園いたします。
それに伴い1月末に全社員解雇となります。」
そう告げられた全体会議。
実は私はこの会議の日、休みだったのだが、どうしても避けられない用事があったため、会議に参加出来ずにいた。
そのため、一緒に働いていた看護師さんに会議の内容をメールで送ってもらえるよう、あらかじめお願いしていた。
会議は13時からだったが、13時5分にはメールが届いた。
早いな、、、
と思ってメールを見たのを覚えている。
そこには
3か月後の閉園、そしてその月末には全社員解雇が決まった
と書かれていた。
寝耳に水。。。
とはまさにこういう事を言うのだろう。
メールを見た時に思わず笑ってしまった事をよく覚えている。
人って、あまりにも驚くと笑うのだな、と冷静に自分を見ている自分がいた。
つづく。。。
他人事
閉園、
そして全社員解雇通知が言い渡された全体集会。。。
泣き出すスタッフもいた。
業績悪化が告げられた最初の全体会議の後、テーマパークのスタッフたちはどうしたら少しでも入場者数を増やせるのか話し合ったと聞いていた。
また付属の専門学校の先生方は少しでも節電に繋がるようにと職員室の電灯を何本か外したとも聞いていた。
そんな社員たちの思いも虚しく、解雇通告は告げられた。。。
倒産とか、解雇って
TVとかで見るけど、全く他人事だと思っていたのに。
それは突然、私の身に降りかかった。
つづく。。。
閉鎖の理由
ずっとこの病院で働くつもりだったのに、突然の解雇通告。
病院の患者数や売り上げは年々伸びていたのに、
なんで、、、
と私は上の人に説明を求めた。
病院やトリミングサロン、ドッグカフェなど一般の飼い主さん向けの施設は売り上げが上がっていたのだが、テーマパークの入場者数、付属の専門学校の入学者数が軒並み落ちてしまったというのが要因との事だった。
敷地を借りている都合上、一部の施設だけ残してやっていくというのは難しく、全てを閉鎖するとの事だった。
そんな。。。
辞めたくない。。。
ショックは大きかった。。。
が、
ずっとショックに浸っているわけにもいかなかった。
3か月後には仕事がなくなってしまうので、これからの事を考えねばならない。
以前の病院は結婚するからと言って逃げたが、その時に結婚を考えていた相手とは既に別れてしまっていたので、結婚に逃げることもできない。
さて、どーするか。。
私は人生の転機を迎えていた。
つづく。。。
誓い
3か月後の解雇。
その後、どーするか。
私は考えねばならなかった。
幸いな事に、私はWで雇われ院長をしながら、休みの日に別の病院でもバイトをしていたので、とりあえず食いっぱぐれることはあるまい。
事情を話してバイトの日数を増やしてもらうか?
いやいや、そういう訳にも。。
と考えていたところで、はたと今、治療中の犬や猫の事が頭をよぎった。
自分のことばかり考えていて、そのコ達の事をすっかり忘れていた。
今やっと良くなってきている貧血の犬のYちゃん。
腎不全で治療している猫のMちゃん。
そのコ達とともに飼い主さんの顔も浮かんでくる。
不安そうな表情の飼い主さんが。
そして
私の中に大きな気持ちが芽生えてくる。
病院が無くなるから治療できませんってどーなの?!
そんなのおかしい!!
このコ達を責任を持って診ていくのが、獣医師としての自分の務めではないのか?!
私は診ていく!! いや、診ていかねばならない!!!
私は獣医師としての自分の使命に燃えた。
そうだ、
開業しよう!!
私は心に強く誓った。
つづく。。。
最初の壁
しかし開業するためには大きな壁があった。
それが開業資金、お金である。
病院を作るためにはテナントを借りて、内装工事をして、
そして何よりも必要なモノ。。。
それが医療機器。
血液検査の機械。
レントゲン。
心電図。
超音波診断装置。
手術するための麻酔器やモニターなどなど。
それぞれが◯百万という単位である。
私が獣医師を目指した時、いずれは開業しよう!!と思っていたが、医療機器のあまりの高さにビビり、逃げ腰になった。
そして病院に勤めてからは、仕事がハードであり、また自分自身の才能の無さにすっかり開業という文字は無くなっていた。
が、
私が診ているコ達を救うためには
私は開業するんだ!!!
お金は借りればいいのだ!!
とこの時は思うようになっていた。
お金を借りるアテはしっかりあるし、大丈夫! と私は思っていた
しかし、
現実はそんなに甘くはなかった。。。。
つづく。。。
動物病院の開業資金
個人が動物病院を開業するための資金はおよそ3000万円位が相場ではないかと思う。
当たり前だが、高額な医療機器を入れれば入れる程、お金はかかる。
変な話、お金をかけたければ、いくらでもかけられるのだ。
開業にはお金がまずは必要だが、私は元々、開業する気はなかったので貯金というものをほぼしていなかった。
それでも大学を卒業して、獣医師として8年働いていたので預金通帳をかき集めると700万円程貯まっていた。
しかし到底、開業資金としては足りない。。。。
足りないお金は親に借りようと私はすぐに思った。
うちの親は私が小学生の頃から都内で飲食店を経営していたので、ある程度のお金がある事がわかっていた。
またバブルの時代に投資用のマンションもいくつか買っていた。
マンションを抵当にしてもお金は借りれるはずと見聞きした知識で知っていた私は、気軽に考えていた。
つづく。。
獣医師への道
私は解雇通告後にあった休日に、両親にお金のお願いをしに行く事にした。
うちの両親は都内で昼は定食屋、夜は飲み屋さんという和食のお店を経営している。
朝早くから夜遅くまで、二人ともそのお店にいるので、この日も実家ではなくお店の方に向かう事にした。
ランチタイムが終わって昼のパートさんが帰って夜のパートさんが来るまでの昼休みの時間を狙っていく事にした。
私が住むT市からは地下鉄乗り入れの電車を使えば1本で行ける。
この日も1本で行ける電車を選んで乗り込んだ。
自分自身の決意を伝えて親にお願いをする、、
いったい、いつぶりだろうかと私は人気の少ない電車の中で思い出していた。
そうか、
私が動物に関わる仕事をしたいと思った時だ。
今から13年前になる。
私は当時、都内の私立のS女子大学の心理学科に在籍していた。
その時に初めて子猫を飼った。
ちょうどクリスマス位に我が家へ来たので、妹がキャロルとその猫を名付けた。
そう、キャロルとの出逢い。
そこから私の獣医師への道も始まった。
つづく。。。
子猫との生活
旅行へ行くから子猫を預かって欲しい。
そう父の友人から言われて預かった子猫、それがキャロルだった。
唯一の身内の母親が亡くなりひとりぼっちの寂しさからペットショップで見つけて子猫を買ってしまったとのこと。
そして、飼って1カ月にも経たずに我が家へ連れて来られた。
名前はまだ決まってないと言っていた。
え?
本当に???
そんな思いで子猫を預かり、
案の定、旅行から帰ってきたら、飼えないからそのままよろしくという事でキャロルは我が家のコになった。
私はといえば、昔から大の動物好きだったので、子猫を預かるだけで嬉しくてたまらなかった。
ずっとずっと、
犬や猫を飼いたい!!!
と思っていたのにマンションだから飼えないという理由で大学生になるまで飼った事がなかったのである。
念願叶っての動物との生活。
しかもアメリカンショートヘアーの子猫との生活。
私の生活は一変した。
つづく。。。
猫と関われる仕事
いるかいないかわからない人
たぶん、大学時代までの私はそんな感じに人から見られていたのでは、と思う。
自分から人に話しかけるのは苦手。
自分の事を話すことも弱みを見られるようで嫌だった。
大勢の人の中では何も喋れない。
小さな頃から、大人しい子だと周りから言い続けられてきた。
そして友達も少なかった。
だから遠足とか修学旅行とか友達と一緒に行動するような行事は本当に気が重かった。
そんな私にとって子猫のキャロルは大切な友達のような感じだったかもしれない。
キャロルのために学校が終わると飛んで帰ってきて、一緒に過ごした。
猫の事をもっと知りたいと本屋では猫の本を買い漁り、読んだ。
そのうちに私は猫と関われる仕事がしたいと思うようになってきた。
そもそもカウンセラーになりたくて、心理学科を選んだのだが、人生経験も恋愛経験も対してない自分が人の悩みを聞いて解決するなんて、無理じゃなかろうかとも思っていたところだった。
猫と関われる仕事を探していて、私は動物看護士なる職業がある事を知った。
つづく。。。
女子大生の私が考えていたコト
動物看護士になるためには人間の看護士のような国家資格はないが、看護士になるための専門学校に行くのが一般的だと調べてわかった。
今は専門学校の他に短期大学や大学もあるが、今から20年以上前にはそういったものはなかった。
当時、私は心理学科の大学3年生だった。
私の通っていた大学はお嬢様大学として有名な女子大だった。
私の両親は高卒と専門学校卒だったので、娘が大学、しかもお嬢様が多く通う大学に通わせている事を誇りに思っていたと思う。
娘は大学を卒業したら、いわゆる良い会社に入って、、と思っていたに違いない。
しかし、
私は日に日に、動物看護士になりたいという想いが募り、
そのためには大学を卒業した後に動物看護士になるための専門学校へ行こう!
と決めた。
そして
意を決して、両親に相談することにした。
つづく。。。
私が獣医を目指したワケ
大学を卒業したら、動物看護師になるために専門学校へ行きたいんだけど、どうかな?
私は恐る恐る、両親へ切り出した。
私は長女だったためか、両親は私が小さい頃から教育熱心で、私がやってみたいと言ったものはたいがいやらせてくれたし、習いたい事があれば習い事をさせてくれた。
また中学は公立だったが、高校は私立に行きたいと言った時も、大学に行きたいと言った時もすんなりと認めてくれていた。
だから、私が大学を卒業してからまた学びたいと言っても問題はないだろうと思っていた。
しかし、
現実は違った。。。
何を言ってるんだ!!
せっかく大学まで行かせてやったのに、
専門学校で動物看護師だと?!
ダメに決まっているだろ!!!
そして最後に小さく、
獣医になるっていうならまだしも。
と、父はぼそっと言った。
私は最後の一言を聞き逃さなかった。
獣医さんになるんなら、いいんだ!!
と思った私はそこからコソコソと獣医大学受験のための勉強を始めた。
つづく。。。
獣医師になるためには?
獣医師になるためには獣医大学へ行って、獣医師国家試験を受けて合格しなければならない。
全国に獣医大学は17校。
私はもともと文系で数学は苦手だったので、センター試験はムリ!と思い、私立に絞って受ける事にした。
私立は6校。
ちょっと前に話題になった加計学園は私が獣医を目指した20年前にはもちろんなかったので当時は5校だった。
その中でも、国語、英語、理科だけで受けられるのが神奈川にある日本大学と北海道にある酪農学園大学の2校だった。
私はこの2校に絞って勉強をする事にした。
と言っても親に内緒の受験なんで、日中は普通に女子大に通い、夜、ファミレスでアルバイトをしつつもコソコソと勉強をしていた。
予備校へ通う時間とお金もなかったので赤本や本屋で買ったテキストを使って勉強した。
勉強を始めたのが大学3年生の春位からで、4年の冬には受験をしようと思っていた。
しかし、大学4年生にはやらねばならない事がある。
そう、卒論と就職活動である。
親には内緒の受験なんで、就職活動はして内定は取っておかねば!!と私は思っていた。
もし獣医大学に入れなかったら、とりあえず就職してそこからまた受験しようと、のんきに私は考えていた。
しかし、時代はバブルがはじけて不景気まっただ中であり、就職活動も一筋縄ではいかない時代に入っていた。
つづく。。。
秘密兵器と就職活動
私が獣医学部を受験しようと思った頃、動物のお医者さんという漫画が流行り、獣医学部の競争倍率はかなり高かった。
1年位、隠れて勉強したくらいでは獣医学部に合格しないかも、、、と内心思っていた私は、並行して就職活動もそれなりに頑張ってやっていた。
就職してから受験して獣医学部に入るという手もあるし、と思っていたのである。
なのに、
なのに、
私はことごとく面接で落とされ、内定を取ることができないでいた。。。
しかし私には秘密兵器があった。
そう、
それは、、、
親のコネ
である。
私の両親のお店は都内のビジネス街にあり、色々な会社の人が来ていた。
そこに金融会社のAという比較的大きな会社の部長がよく来ていたため、両親は私の事を話して、お願いしてくれた。
この秘密兵器を使い、私は内定を貰える事ができた。
獣医学部に受かった際には、この親のコネを使ってもらった内定をどうするかなんて考えもせずに私はいた。。。。
つづく。。。
大学入試も色々あるのだ!
獣医学部受験のための勉強をしている中で、私は学士入学試験なるものがあるのを知った。
学士入学試験とは、大卒または大卒予定者専用の試験である。
私は獣医学部受験の時に文学部(心理学科)の4年生だったので、大卒予定者という事で学士入学試験枠での受験も可能でだった。
しかも調べてみたら、学士入学試験は、学力試験はなく、面接などだけで良いのだ。
それだけではない。
学士入学の場合、一般教養を学ぶ1年生分は免除され2年生への編入学ができる!!
これは受けない手はない!!
しかし私がこの制度に気づいたのは遅く、神奈川にある麻布大学と北海道の酪農学園大学の2期募集のみが受けられるだけであった。
結局、私は日本大学、酪農学園大学の受験と麻布大学、酪農学園大学の2期の学士入学試験を受ける事にした。
結果は、、、
惨敗。。
普通受験は不合格。
麻布大学の学士入学試験は面接だけだったが、いわゆる圧迫面接というヤツで、これまた散々な目にあった。
面接官の、恐らく教授と思われる3人から、
女子が獣医なんて無理なんだよ、
とか
最近の女子学生は本当にダメで、続けられない子が多いよ、あなた続けられるの?!
とか嫌味たっぷりに言われ、
。。。あんたのところの女子学生がダメだからって私をダメ扱いしないでよ。。。。とムッとしながらも、
私は大丈夫です!!
と強気で答えたのだが、
不合格。。。
残すは2月末にあった酪農学園大学の学士試験の2期募集のみとなってしまった。。
つづく。。
ラストチャンスの面接試験
ラストチャンスは酪農学園大学の学士入学試験の2期募集枠。
試験内容は前の大学の成績と小論文と面接のみ。
20年前の事で小論文のテーマはすっかり忘れてしまったが、面接はよく覚えている。
麻布大学の学士入学の圧迫面接で散々な目にあったので、私はかなり気構えて面接に臨んだ。
が、
おそらく教授と思われる面接官が、私の成績表を見て、
「いい成績ですね、優秀ですね!。」
と開口一番、褒めたのである。
まさか面接で褒められるとは思っていなかったので、私はビックリした。
そして「うちの学校は牛とか馬が多いけど、大丈夫かな?」
と優しく聞いてきた。
「動物は小さい頃から好きなんで大丈夫です!」
と意気込んで私は答えた。
そんな感じで面接は終始穏やかな雰囲気で行われた。
私には面接官の教授が神様のように思えた。
後からわかったのだが、獣医学部はほとんどが必須科目のため良い成績を取るのはなかなか難しい。
一方、私が通っていた文学部(心理学科)はほとんどが選択科目だったので、自分が得意だったり、簡単な科目を取りさえすれば良い成績なんて簡単に取れる。
獣医学部の教授が文学部の科目の仕組みをしらなくて本当に良かったと思う。
そして、
私はラストチャンスで合格をもぎとった!!
つづく。。
獣医学部合格!天にも登るほど嬉しいことと、その後にあるのは。。。
酪農学園大学の二期の学士入学試験は20人弱の受験者がいて受かったのは私一人だけだった。
後にわかった事だが、実は合格者は別にいて、その人が入学を辞退したため、私が受かったとの事だった。
運が良かったとしか言えない事態だった。
合格して天にも登る気持ちの私。
そして、それを両親に伝えた。
当たり前だが、両親はかなり驚いた。
そりゃ、そーである。
春からの就職先も決まっているのに、娘が獣医大学に入学すると言い出したのだから。。。
ただ、獣医師になるならと、両親は認めてくれた。
しかし、
親のコネを使って取った内定先にはこの事を伝えに行かねばならない。
私は母親と手土産を持って、会社に謝りに行く事になった。
めっちゃ怒られるかも、、、
と内心ビビっていたが、そんな事もなく、すんなりと内定辞退を認めてもらえた。
申し訳ない事をした、、、
と、この時は反省したが、後から考えたら、会社としては、コネのためにおそらく取りたくもない女子学生を採用したが、自ら採用を辞退してくれたんで、ま、いいか、という感じだったかもしれない。
今の私であれば、当時の私、社会性に欠けて、大人しい、ただお嬢様大学卒だけが売りのような子を採用したくないよなぁと思う。
そんな事を思い出していたら実家がある駅に電車は着いた。
つづく。。。
自営業をしている人が考える開業とは?
「人に使われているようでは、ダメだ。自分で開業しなさい!!」
これは獣医学部に入った時に父がよく言っていた言葉である。
父は高卒後、厳しい板前修業をして、自分のお店を持ち経営していた。
自営業をしている人の考え方で、
自分が頑張った分だけ稼げる自営業の方が会社員より良い
というのを子供の頃から両親に刷り込まれていたように思う。
両親のお店はそれなりに繁盛していたため、高校生の頃からお正月になると家族で海外旅行をしたりもしていた。
しかし、獣医大学卒業後、勤めた病院で自分の才能の無さから開業を諦め、両親にも
「開業はお金もかかるし、自分には無理だと思う」と私は言っていた。
それを聞いた時、父はなんとも寂しそうな表情をしていた。
それもそうだろう。
文学部心理学科卒業後に獣医大学まで通わせた娘には、動物病院を開業させて人並み以上に成功して欲しいと願っていたに違いない。
会社が倒産し、全社員解雇になるからとはいえ、娘がようやく開業を決意したのだから両親も喜ぶだろうと私は思っていた。
つづく。。。
解雇通告をついに告白! その時、両親は、、、
「つい先日、会社で全体集会があって3カ月後の1月12日にWは閉鎖して、1月末に全社員が解雇になるって決まった。
それで、、、」
と一呼吸置いて
「私はこの機会に開業しようと思う」
事実とこの後の予定を、両親が驚かないように、さらりと私は言った。
で、開業するのにお金が必要だから、お金を貸して欲しいのだけど、、、
と、この後続く予定だったのだが、
間髪入れずに父が
「開業なんて、大変だからやめなさい!
おまえには無理だ。無理だ。
今は不景気の時代なんだから、やっても上手くいくはずない。
何処か他の病院に移ればいいだろう。」
と言ったのである。
予想外の展開。
。。。前は開業しろ!って言っていたのに。。。
職人気質で自分の意見を曲げない、怒りだすと手がつけられない父に対して、想定外の展開もあって、私は何も言えなくなってしまった。。。
今、考えるとちょうど1か月前にリーマンショックがあり世の中は不景気真っ只中で自営業者の父はそれを身をもって感じていたのだろう。
それ故、開業を反対したのだと思うが、そんなことは当時の私には1ミリたりともわからなかった。
結局、言いたいことを最後まで伝えられず、私は帰る事になった。
つづく。。。
諦められない想いと獣医師としての私の使命
「開業をするためにはまずは親に認めてもらわないと上手くいかない、親の協力がなかったら開業は厳しいよ」
と私は既に動物病院を開業していた先輩から言われていた。
だからまずは両親に開業の協力をしてもらおう、そしてお金も貸してもらおう、、
と思っていたのに、父は開業なんてダメだと言ったのである。。。
我が家では父の意見が絶対なので、母がいいと言っても、父がダメだと言えばダメなのである。
実家のお店からまた自分の家のあるT市まで電車に乗り込み、どうしたらいいんだろうか、、と私は考え始めた。
父の言う通り、他の病院に勤めるというのも出来なくはない。
しかし、、、
今、自分が診ているコ達を病院がなくなるからと放っておく事は出来ない、
引き続き診ていくのが獣医師としての私の使命だと私は強く思った。
やはり開業は諦められない!!
何とかなるはず、、、
何とかしよう!!
と私は思った。
つづく。。。
反対する親を説得するために私が取った経験に基づく方法
しかし、反対している親をどうやって説得したら良いのだろう、、、
と私は考えた。
その時、私の頭の中に大きなビックリマークが出現した。
そうか!
いくら私が開業したい!!開業したい!!
と口で言ってもわかってもらえない。
それならば、
私が何故開業をしたいと思っているのか、
いや、
何故、開業しなければならないのかを
文章にしっかり書いて、それを見てもらおう、
と私は考えた。
何故、私がこの方法を思いついたのか、
それは、、、
実際に仕事上で同じような事をした事があったからである。
私はW動物病院で雇われ院長として働いていて、自分の思うように診察ができて、なおかつやり甲斐を感じていて、本当に幸せだったのだが、一つだけ大きな不満を抱えていた。
それは、、、
給料が少なかったのである。
世間一般の雇われ院長の給料と比較すると私の給料は低かった。
こんなに頑張って働いて、
患者数も売上も上げているのに、給料が少ない!!と不満だったのである。
でも、給料を上げてくれと私がいくら言ってもわかってもらえない、
特に上の人達は現場の状況もわかっていない。
そこで、私は自分が院長になってからどれだけ患者数、売上を上げたのか、一目瞭然でわかるようグラフを作成した。
また、自分が院長になってからの患者数を増やすための営業努力
こんなことをした、あんなことをしたというのを全部文章にした。
そして、この資料を持って給料交渉のプレゼンをした。
ま、
結果、給料は微々たる金額しか上がらなかったが、
この時の経験から開業するのが何故必要か、
どんな病院にするかなど親を説得するために
起業計画書を書く事にした。
つづく。。。
起業を考えた時に私が参考にしたモノ
起業計画書といえば、、
と私は家に帰ってきてからゴソゴソと本棚に雑然と入れてある資料を探しだした。
そして、見つけた!!
黄色のファイル。
ちょうど1年前に受けた、T市の商工会議所がやっている創業塾の資料。
私は新卒で勤めた動物病院の時に、開業は諦めていたのだが、自営業家系の強い教え(?)があり、何か自分で起業しなければと考えていた。
そこで私はしっかり起業の基礎が学べる創業塾に通っていたのである。
創業塾は中小企業診断士や社会保険労務士など色々な分野の先生から創業に関するいろはが学べるにも関わらず、市がやっているものだったので、受講代金は6回コースでわずか5000円だった。
創業塾の最終回はそれぞれが自分の起業計画書を書き、それをプレゼンすることになった。
私は色々、色々考えて自分が出来る事、そして自分の好きな事で起業をしようと思い、自分の好きな日本茶をテーマにした人と動物を癒やすためのサロンを作ろうと考えた。
そして起業計画書を書き、私はプレゼンの結果、50人近くいた受講生の中で2位を取った。
人と動物を癒やすサロンではなく動物病院になってしまったが、起業計画書の書き方はバッチリ学んでいたのが幸いだった。
つづく。。。
アナログ人間の動物病院開業場所の探し方
起業計画書を上手に書いたとしても、実際に病院を開業できる場所がないと話にならない。
そこで私は病院ができそうな場所を探す事にした。
自分の暮らすマンションやアパートは探した事はあれど、病院を開業できるテナントは探した事はない。
テナントってどこで探すんだろう?
と私は思った。
とりあえず、不動産屋さんに行けば何とかなるだろうと思い、休みの日に行く事にした。
今だったらスマホで探せるのだろうが、私が開業を考えた10年前には、私はまだスマホを持っていなかったし、結構アナログ人間だったのでパソコンで探すというのは全く考えていなかった。
病院を開くならどの辺で、どの位の大きさでというのもぼんやり考え始めていた。
場所は今のW動物病院がある近くで、と思っていた。
動物病院へは車で来る人も多いが、中には歩いて、または自転車でという人もいる。
もともとのW動物病院から遠くに病院を開業してしまうと歩いて来てくれていた患者さんが来れなくなってしまう。
今、来ている患者さん全てが引き続き通院できるよう、開業場所はW動物病院から歩いて10分以内の圏内にしようと私は考えていた。
つづく。。。
動物病院を開業するのであればどの位の広さが必要か?
動物病院を開業するのであれば、どの位の広さが必要になるか?
世間相場がよくわからなかったので、開業している先輩に聞いたところ、東京都内ならだいたい30坪位が一般的だと思うが、最低15坪あれば何とかなるんじゃないかと言われた。
それならばと、家賃を安く済ませたい私は、最低ラインの15坪でテナントを探すことにした。
まずは自分の住んでいるマンションの不動産屋さんに休みの日に行ってみた。
本当に不動産屋さんでテナントが探せるかわからなかった私は、
「T市内で動物病院を開きたいんで、そのテナントを探しているんですけど、、、」と小さな声で言ったところ、
「ああ、いくつか物件があるかと思いますよ!」
と優しい感じの女性に言われ、不動産屋さんでテナントも探せるんだぁ~と安心した。
「どのくらいの広さで予算はどのくらいですか?」と聞かれて私は以下のような希望を伝えた。
・W動物病院から歩いて10分以内
・15坪位の広さで1階。
・なるべく大きな通りに面していて、駐車場もある所。
・そして何よりも家賃が安い所!!(駐車場代も含めて20万円以内)が希望。
しかし
意外とこの条件にひっかかる物件は少なかった。
あ、いいなと思って、不動産屋さんが大家さんに電話してくれると、動物病院はダメと言われる事もあった。
動物病院は臭いから、とか、うるさいからとか思われる事が多いらしい。。。。
実際は、そんな事もないのに。。。
動物を助けるために動物病院を開業しようと思っているのに、断れるなんて、、、、と悔しい思いを私はした。
つづく。。。
絶対ココでは動物病院を開業してはいけないと思う場所
あ、コレいいかも!!と言って不動産屋さんが最後に出してきたチラシ。
私の条件に全て合う物件だった。
そして
「ここの物件、以前も動物病院だったらしいですよ」と言われた。
えっ??
それって。。
私はすぐにわかった。
それは以前からよく聞いていたT動物病院が入っていた物件だ。
その病院は数年前までは確かにあったのだが、様々な医療ミスや問題がたくさんあり、被害者の会が立ち上がって潰れた病院だった。
私の条件に合う物件ではあったが、いくらなんでも過去にトラブルがあった動物病院の所に開業する気にはなれず、丁重にお断りした。
そして、条件に合う物件がでたら連絡をくださいと言って私は不動産屋さんを後にした。
それから自転車で市内をぐるぐる回って探してみたり、何軒か同じように不動産屋さんを巡ってみたが、私の条件に合う物件はなかった。
つづく。。。
東京と北海道との違いにビビる獣医学生時代
なかなか開業場所が見つからない私は気を取り直して、開業しているN先輩の病院に見学を兼ねて休みの日に相談しに行くことにした。
N先輩の病院は神奈川県にあり、電車を乗り継いで1時間程で行ける場所だった。
自分の住まいからそう遠くはない距離だったが、病院を訪れるのは初めてだった。
電車を乗り継いで、窓から見える海の景色に癒されつつ、私はN先輩と出会ったのはいつだったっけなぁと大学時代を思い出していた。
確か、そう。
私が獣医学科の2年生に編入学した年だ。
大学の入学式の景色が鮮やかに目に浮かんだ。
東京の女子大を3月に卒業し、北海道へ引っ越しをしてすぐ4月に酪農学園大学の入学式を迎えた。
4月とはいえ、北海道にはまだ残雪があった。
そして学校の周りの景色は見渡す限り、広大な牧草地。
東京とのあまりにもの違い。。。
これから5年間、ここで過ごすのだ。
大丈夫だろうかと入学早々、不安になったのを思い出した。
つづく。。。
中二病ではなく大二病
私の不安は的中した。
2年生に編入学した私は、当然の事ながら誰一人知ってる人はいない。
すでに出来上がっている人間関係に入れるような積極性、器用さもない私はポツンとしていた。
同じく編入学した子は3人いて、みんな同世代の女子だったが、2人は酪農学園大学の酪農学部からの編入で既に友達同士だった。
もう一人の女子は九州の大学の畜産学部卒、サバサバしている感じで、新しい環境にすんなり溶け込んでいた。
下宿先でも、話す人はなくいつも一人でご飯を食べていた。
友達がいない寂しい子に見られたくないのでなるべく人が少ない時間を選んで食堂へ行っていた。
私の運命を変えた猫、キャロルは下宿には連れていけないため、東京の実家にいた。
なんで北海道の大学しか受からなかったのだろう、、、、できることなら実家に戻りたい、、、、キャロルに会いたいといつも思っていた。
でも寂しい、とか帰りたいとか、自分が獣医になりたくて編入学までした手前、親には口がさけても言えなかった。。。。
酪農学園大学は道外からの一人暮らしの学生が多いからか、学生にはそれぞれ担当の先生がついて、色々相談できるシステムがあった。
入学してしばらくすると、私の担当の先生はN先生だから、一度N先生のところへ行くようにと学生課から言われた。
N先生は小動物の内科の教授だった。
2年生では入らないゼミ室が並ぶ建物に入り、ドキドキしながら教授の部屋のドアをノックし、入った。
そこで私はN先輩とも出会った。
そして、そこから私の学生生活も変わり始めた。
つづく。。
私が授業の後に教授の家に通っていたワケ
小動物内科のN教授はどことなくダスティンホフマンに似ている小柄な先生だった。
肥満について研究しているが、犬を使ったアニマルセラピーの研究を老人ホームでこれからしたいらしく、私が元の大学で心理学を学んでいたのに興味を持ってくれた。
どうしてそうなったかは覚えていないが、教授の奥さんが勤めている老人ホームでパーティーが今度あるからその時にピアノを弾いて欲しいと言われた。
ずっと弾いてないんで弾けるかどうかわならないのだけど、、
というと、我が家のピアノで練習していいよという事になり、しばらく学校が終わった後、教授の家に通ってピアノの練習をすることになった。
ピアノの練習の後には、教授の家族に混じり奥さんが作ってくれた夕ご飯を食べるのが私の楽しみだった。
学校と家の往復だけしていた私の生活が変わり始め、ホームシックになっていた私の気持ちも癒された。
つづく。。。
意外な場所で知り合いになった先輩の動物病院へ
そして私のピアノの成果(?)を見せる、老人ホームでのパーティーの日を迎えた。
N教授の家に通ってピアノの練習はしていたものの、入居者の老人達がどの様な反応を示すかドキドキだった。
私のピアノだけだと盛り上がらない可能性を考えてか、N教授のゼミ室の学生で楽器ができる人を呼んであるから大丈夫だよと言われた。
そこで会ったのが私より2学年上のN先輩だった。
小柄なN教授とは対照的にガッチリとした体型のN先輩は声も大きくたくましい感じだった。
楽器を弾く繊細な女性を想像していたので、イメージが正反対の男の先輩が来たのに私はビックリした。
N先輩は私のピアノに合わせて、うまくギターを弾いてくれた。
ぶっつけ本番のデュエットの割にはよくできたと思う。入居者の方々も喜んでくれた。
「今度は犬を連れてきてアニマルセラピーをしましょう、N君、Kさん(私)、よろしくね。」
と言われ、その後、私とN先輩は教授のアニマルセラピーの手伝いをする事になった。
私の大学時代を語る上で外せない教授を通して知り合ったN先輩。
車窓からの風景を眺めながら大学時代を思い出していたらN先輩の動物病院がある駅に到着した。
つづく。。。
見た目は変わらない先輩のすごく変わっていたこと
N先輩の動物病院は神奈川県の私鉄駅から歩いて行くには距離があった。
なので駅まで先輩が車で迎えにきてくれた。
大学を卒業してから先輩には会うのは8年ぶり位だったが、白衣を着た先輩は昔と変わらない感じだった。
ただすごく変わっていたのは先輩が乗っていた車だった。
大学時代は確か古い軽自動車だったが、迎えに来てくれた先輩が乗っていたのは白のピカピカのBMWだった。
車に詳しくない私でもわかる外車。
凄いですね!!と言うといやぁ、そんなに高くないんだよ、と言われた。
開業するとやっぱり儲かるんだなぁ
と単純な私は思ったが、そうでもないのが後からわかった。
車で15分位で先輩の病院に着いた。
病院は美容院などいくつかのテナントが入っている古めかしい建物の真ん中位に入っていた。
黄色を基調としたカントリ―な感じの外観で、入り口横の壁にはロゴマークになっている先輩が飼っている犬と猫の絵が描いてあった。
色々、相談に乗るよ、とりあえず中に入って、と言われ病院の中に入った。
開業している先輩に相談すれば、うまくいく方法を教えてもらえるだろうと私は安易に考えていたが、想像以上に開業するのは大変だという現実を私は知ることになる。
つづく。。
先輩から出た予想外な意見
突然の全体集会があり、3ヶ月後にテーマパークは閉鎖し、その月末には全社員解雇。
そして自分は今まで診ていた患者さん達を引き続き診れるよう開業する事に決めたんです!
と私は先輩に伝えた。
「そうなんだ。。
でもよく考えた方がいいよ。
開業するのは大変だよ。
開業する事で失うものもある。。。」
やや伏し目がちに落ち着いた口調でN先輩は言った。
予想外な意見。。
それは開業した方がいいよ、と言われるのだろうと私は思っていたから。
「Kさん(私)はまだ独身でしょ。
獣医としての自分だけじゃなく、女性としての自分の幸せも考えた方がいいと思うし、昔は動物病院を開業するって言ったら銀行はすぐにお金を貸してくれたけど、今はなかなか貸してくれないよ。」
開業している先輩の言葉には重味があった。
。。。。親からはお金は借りれないのはわかっているから事業計画書を書いて貸してもらおうと思っていたのに。。。。
たぶん、私は小さくなってちーん。。。とした顔になっていたと思う。
私の落ち込んでる様子を察してか、先輩はとりあえず、自分が開業した時の開業計画書があるから貸してあげるよと言って貸してくれた。
つづく。。。
動物病院を開業している先輩の意外な過去
N先輩の病院はウッディな感じの待合室、診察室が一つ、処置室、レントゲン室、オペ室、入院室があった。
緑色をベースにした待合室はどことな~~く懐かしく、落ち着く感じだった。
モスバーガーをイメージして待合室を作ったんだよと言われて、私は納得した。
処置室には顕微鏡や様々な血液検査の機械、そしてオペ室にはしっかりとしたモニターなどがあった。
そうだ、医療器具も揃えないと、と改めて思っていたら、今の病院がなくなるんだったら、そっくり機械とかもらえないの?会社に交渉してみたら?と言われた。
なるほど、その手があったか!!
早速帰ったら交渉してみようと私は思った。
ちなみに、、、
と一呼吸おいて、先輩はこういった。
「もし無理だったら医療機械は買わなきゃならないけど、リースばかりにすると最初のお金はそんなにかからないけど、月々の支払いが大変になるよ。
うちは最初の頃、支払いで追われていたから。。。
最初の頃は患者さんもそんなに来ないし、患者さんが定着して利益が出るまでの運転資金も借りるようにしないとダメだよ。
最初は本当にキツかった。
患者さんが来なくて、レントゲン室でふてくされて寝ていた事もある」
と先輩は意外な過去も教えてくれた。
開業している先輩の話を聞いて、私は自分の考えが甘かったと気づいた。
開業するのが大変なのは当然だけど、開業してからも困難が続くのだと改めて気づかされた。
つづく。
動物病院開業に必要な医療器械の交渉
次の日、私は早速必要な医療器械を病院を見渡して書き出していく事にした。
で、わかったこと。
必要ない器械なんてない!!
全て必要じゃないか!
血球検査の器械
血液生化学検査の器械
レントゲン
レントゲンの現像機
麻酔器
超音波診断装置
などなど
これはなくても大丈夫、、、なんてものはないなぁと改めて思った。
私は意気揚々と器械を書き出した紙を持って、譲ってもらえないかと上の人に相談してみたけどあっさり断られた。。。。
私の勤めるWというテーマパークは、外から見たら全く変わっていなかったが、運営する会社は何度か変わっていて、今の会社は筑波にある同じようなテーマパークも運営していて、器械は全て、筑波に持っていくとの事だった。
アテが外れてガッカリしたが、仕方がないので、とりあえず欲しい医療器械の見積もりをN先輩に教えてもらった会社に出してもらう事にした。
私は開業に向けて少しずつ動き始めていた。
しかし、日中は変わらず雇われ院長として働いていた。
会社からはしばらくの間、Wが閉鎖する事は絶対に口外してはならないと言われていた。
患者さんから「先生、またよろしくお願いしますね」と言われると
「はい」と答えながらもいつまでそのコの診察ができるだろうかという事が頭をよぎり、なんだか後ろめたい気持ちになっていた。
つづく。。
動物病院の開業をいつするか?
仕事によっては繁忙期というものがあるが、動物病院の繁忙期は春である。
何故、春が繁忙期なのか?
春には狂犬病の予防注射やノミ、マダニ、フィラリアの予防などがあり健康な犬でも1年に1度は病院に訪れる時期だからである。
1月12日にテーマパークとともに病院が閉鎖される。
では自分の病院の開業をいつ行うか?を考えた時、私は3月には開業しなければならないと思った。
今、みている患者さん達が春になって予防で病院に行く時に私がまだ開業してなければ他の病院へ行ってしまう。
そうしたら、私が開業しても、他の病院から戻ってきてくれないかも、、、と私は恐れた。
また閉鎖から開業まで時間がかかってしまったら治療中の患者さんにも迷惑がかかる。
閉鎖から開業まではとりあえず往診で診れるように、往診での獣医師としての登録を済ませた。
しかし、開業まで時間がない。
そして、お金もない。
両親も協力してくれない。
何もかないが、とりあえず先輩から貸してもらった開業計画書を参考に私は開業計画書を書き始めた。
つづく。。。
病気を治すだけではない病院
先輩から借りた開業計画書と以前に商工会議所で受けた創業塾のテキストを参考にして、私は開業計画書を作り始めた。
先輩から借りた開業計画書の目次に従って私も書く事にした。
まずは病院の理念
理念って何だ?
そんなの考えていなかった。
私の創りたい病院の理念って何だろう??
そうか。
わかった。
私は以前にも書いたが、病院を作るつもりは無かったけど、人と動物を癒やすサロンを作りたかった。
それをやればいいんだ!!
病院という形にとらわれず、気軽に普段から来てもらえるサロンのような病院。
そしてそこで人と動物達が交流できるようなコミュニティスペースになるような病院。
私が他の病院とは違って行っていること、東洋医学(鍼、漢方)やマッサージなどホリスティック医療もできる病院。
最後に常々感じていた、飼い主さんのココロのケアができる病院。大切な小さな家族が病気になると飼い主さんも精神的に病んでしまうことがあるから、そういった飼い主さんのカウンセリングにも力を入れて、動物の治療だけでなく、飼い主さんの気持ちの負担を軽くしてあげることができる病院。
私が作る病院は、病気を治すだけではない病院にしたいとその時始めて思った。
計画書を書いているうちに病院のイメージがドンドン膨らんできた。
まだ病院のテナントも見つかっていないのに。。
つづく。。。
10坪で動物病院は開業できるか?
動物病院の開業計画書を本格的に書き始めた頃、不動産会社から1本の電話がかかってきた。
「あなたが探していた物件に当てはまる物件が空きました。見てみませんか?」
おおっ!!!
ついにテナントが見つかった!!!
ドキドキしながら、翌日お昼休みを抜け出して自転車で不動産屋さんへ向かった。
これなんですけど、、、、
と不動産屋さんが見せてくれたチラシ。
Wから歩いて7分位、1階で比較的大きなバス通り沿いに面していて駐車場もある。
しかも十字路で目立ちやすい場所。
私の希望に合っている物件!!
ただ広さが10坪。
私の希望が15坪だったので、ちょっと狭いか。。。
不動産屋さんからも近い物件だったので連れて行ってもらって中を見てみた。
そこは小さなアパートの1階。隣は飲み屋さん。
スケルトンの10坪のテナント。
う~~~ん。やっぱり狭いなぁ。。。
お金がないので色々言ってられないし、広いところは借りれないけど10坪で病院は開業できるだろうか??
その場ですぐ即答できなかったので、ちょっと考えるので時間をください、また連絡します。
と答えて私は仕事へと戻った。
つづく。。。
お金がないなら知恵を使え!
動物病院に必要な部屋とは、、、
待合室
診察室
手術室
レントゲン室
入院室
最低限必要な部屋は上の通りだろう。
もっとちゃんとした病院であれば伝染病のコのための隔離室、セミナールーム、スタッフルーム、当直室、さらにはCT室、MRI室なども高度な医療をする病院では必要となってくる。
予算の都合上、私は最低限の広さ(15坪くらい)で動物病院を作ろうとしていたのだが、見つかった物件は10坪。
さて、どうしたものか。。。
「お金がないときは知恵を使いなさい」
と私は昔、父に言われたのを思い出した。
グルグル、
グルグル、
脳みそを使い、導き出した答え。
それは
部屋を区切るという発想はなくして、大きな1個の部屋で全て対応すればいい!!
ということだった。
大きな一つの空間の入り口近くの片隅に椅子を置きそこで患者さんには待ってもらう。
そして同じ空間に診察台を置き、待合室兼診察室。
奥の片隅にカーテンを引いてケージを置いて入院室。
手術は病院を占めた昼休みにするので診察台を手術台にすればいい。
レントゲン室は作れないからレントゲンはなしで診察を行う。
これなら10坪でも動物病院ができる!!!
何とかなるじゃん。
一筋の希望の光が見えてきた。
つづく。。。
レントゲンのない動物病院はあるかなしか?
不動産屋さんが見つけてくれた10坪のテナントで、部屋を仕切らずに大きな空間で動物病院を作ろう!と思った私は念のためにこの話を誰かに相談してみようと思った。
ちょうどその日の夜、大学時代のN先輩に紹介してもらった医療業者さんとの打ち合わせがあり、相談してみることにした。
不動産屋さんのチラシを見せながら「テナントが見つかったので、ここで開業しようと思っているんですけど広さが10坪なんですよ。
で、、、
レントゲン室はなしにしようかと思うんですけど、どうですかね?」
途端に業者さんの顔は渋くなった。
「確かにペットショップとかの付属の動物病院だとレントゲン室とかOPE室とかないところもありますけど、先生が今、働いているW動物病院にはレントゲン室はありますよね。
今診ている患者さんが来て、今までと同じような検査だったり治療ができないと患者さんは離れていくと思いますよ。」とサラッと言われた。
患者さんが離れていく、、、、
思ってもみないことを言われて怖くなった私は、やはりもう少し広いところを探してレントゲン室も作ろうと思った。
もしかしてレントゲンの機械を販売したいからその場所は止めた方がいいと医療業者さんは言ったのかもしれないが、後から考えるとそのアドバイスをもらって考え直して良かったと思う。
結局、私のテナント探しも振り出しに戻ってしまった。
つづく。。。
動物病院に必要な医療器械の値段とは?
医療器械屋さんの一言でテナント探しが振り出しに戻った私は気を取り直して、医療器械をどうするかを考え始めていた。
「これが開業時には必要だと思われる医療器械のリストです」
そう言って渡された3枚に渡るリスト。
ずらずら~~~と機械の名前、メーカー、値段が一覧表になって書かれていてた。
そして、医療器械の写真が載った5センチ位の分厚いカタログも渡された。
「一つの医療器械でも各社から発売されているのでどこのメーカーにするかをここから考えてくださいね。」
カタログから選ぶ、
結婚式の引き出物のカタログギフトのような感じでワクワクするような気持ちでページを開いてみたが、この機械がそんなにするんだーーっとビックリするような値段が、そこかしこに書かれていた。
今まで8年間動物病院で働いてきたが、1台1台の機械がそんなに値段がするものだとは知らなかった。
「ちなみに、、、だいたい必要な機械を一通り揃えるとざっくり1000万円はかかります」
と医療器械屋さんはサラッと言った。
医療器械だけで1000万円。。。
私の貯金では医療器械さえも揃えられない。。。
なんとかして開業計画書をうまく書き、融資をもらえるようにしないと!!と私は強く思った。
つづく。。。
患者さんのココロのケアをする動物病院
再び私は開業計画書を書き始めた。
開業計画書の動物病院の理念の次は
目的、動機
Wが倒産して、なくなるから引き続き患者さんを診ていくために開業する
というのが私の開業の目的。
それ以上でもそれ以下でもない。
だけど、他にも私が病院を開業する目的ってあるのだろうか?
と思った時に私は他の病院にはないものを提供するために病院を作りたいと思い始めた。
もしかして私でなくても他の誰かが引き続き、患者さん達を診ていくために病院を作ってもいいかもしれない。
けれど、私が病院を作る動機は、私だからこそできる病院を作りたいからなのだと思った。
病院の理念とも被ってしまうが、
他にはないホリスティック医療を提供すること、
患者さんのココロのケアを行うことも私が開業する理由なのだと改めて思った。
開業の計画書を書いているうちに今診ている患者さんだけでなく、まだ見ぬ患者さん、そして飼い主さんのために病院を作りたいと強く思い始めていた。
つづく。。。
開業計画書を書きながら思い出したコト
動物病院の理念、開業の目的・動機の次は
経歴、そして事業の経験がN先輩の貸してくれた開業計画書には書かれていた。
履歴書ではないので、小学校卒業から書く必要はないが、ここぞとばかりに私は大学を2か所卒業したことを書いた。
1996年3月 S女子大学心理学部卒業
1997年4月 酪農学園大学酪農学部獣医学科入学
2001年3月 酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業
ちなみに、S女子大学を卒業したことは獣医師しての私の役にはあまり立たないかもしれないが、時々、私の経歴を見て私もS女子大卒なんです~~~と好感を持ってもらえることもあるのであえて経歴には載せる私。。。。
そして事業の経験
2001年4月 埼玉県Tアニマルメディカルセンター入社
2006年5月 Tアニマルメディカルセンター退社
2006年9月 W動物病院入社
以前のブログにも書いたように私は卒業してすぐTアニマルメディカルセンターに入社したのだが、おそろしく不器用なため非常に苦労した。何度もやめようかと思ったのだが、容量の悪い私は時期を逸して辞められず、気づいたら5年もそこに勤めて2006年5月にTセンターを退職した。
そして2006年9月にW動物病院に入社しているのだが、Tアニマルメディカルセンターを退職してからの4か月間。
この空白の4か月間も今、思い返すとありえないようなことが起きていた。
つづく。。。
私の運命を変えた猫の謎の病気
退職してW動物病院に就職するまでの4か月間、実はこの空白の4か月間を語る上で外せないのが私の猫、キャロルの病気のことがある。
キャロルは私が獣医師になろうと思うキッカケを与えてくれた運命の猫。
北海道での獣医大学時代、東京にいた彼女を途中から迎え、北海道で一緒に暮らした。
そして就職とともに埼玉県に一緒に戻ってきた。
獣医師になって4年目、キャロルが13歳の時に彼女はよく吐くようになった。
高齢になってきて腎機能が弱まってきているのかもしれない、、、、と私は勤めていたTアニマルメディカルセンターで血液検査とレントゲン検査、尿検査をしてみたが異常はなかった。
胃腸炎かもしれないと胃薬を投与し始めたが、なかなか嘔吐は落ち着かず、バリウム造影検査をしてみたが、バリウムの通過も問題ない。
検査をしても異常は出ないのに嘔吐は治まらない。
一体どうして、、、私は不安になってきた。
つづく。。。
徐々に見えてきた運命の猫の病気
私の猫、キャロルの具合いは日に日に悪化してきた。
嘔吐は止まらず、食欲も少しずつ落ちてきた。
おかしい、、、、
何か見逃しているかも、、、、、
もう一度私は血液検査をしてみた。
内臓の数値は異常はない。しかし、白血球の数が以前に検査した時よりも増えていた。
白血球の何が増えているかを確かめるため、血液塗抹を作って顕微鏡で見てみた。
すると、、、
好酸球が異常に増えているのがわかった。
普通白血球で一番多いのは好中球だが、その好中球よりも多い。。
そして超音波検査をしていなかったので超音波検査をしたところ、腹腔内にあるリンパ節が腫れているのがわかった。
リンパ節の腫れの原因を突き止めるために、超音波で確認しながらリンパ節の細胞診をした。
細胞診は検査センターに出し病理の先生が答えを出してくれるのだが、結果が出るのは1週間位かかる。
1週間も待てないと思っていたところ、運よくその日は仕事の後に臨床病理の先生が病院に来ての勉強会だったので、検査センターには出さずにその先生に見てもらうことにした。
つづく。。。
眠気も吹き飛ぶ獣医師勉強会
臨床病理医のH先生。
獣医業界では有名な先生で、その先生を呼んで月1回、Tアニマルメディカルセンターでは仕事後に獣医師全員出席の勉強会があった。
通称Hゼミ。
Tアニマルメディカルセンターは分院があったのだが、その時は分院の先生も集まり総勢15人くらいの獣医師がHゼミに参加する。
主に自分が診ている症例の相談がメインとなるが、その中で臨床病理についての問題をH先生が出される。
「この犬は貧血だけど、犬の赤血球の寿命ってどの位?」
「再生性貧血と非再生性貧血の見分け方は?」
などビシビシ質問されて、すぐに当てられるため仕事後の疲れて眠い時間だが、緊張して眠気も吹き飛ぶような勉強会だった。
私はドキドキしながらキャロルのこれまでの経過を話し、キャロルのリンパ節の細胞診のスライドを先生に渡した。
で、最後に「実はこの猫は私が飼っている猫なんです。」と付け加えた。
H先生はちょっと驚いた顔をして、顕微鏡を覗くとこう言った。
「リンパ腫か好酸球性の胃腸炎か、そのどちらかだな。確定診断はこのスライドからは出せない。」
つづく。。。
自分の猫が病気になった時、獣医師はどうするか?
私の運命を変えた猫、キャロルの病気が少しずつ見え始めてきた。
お腹にあるリンパ節の細胞診からリンパ腫か好酸球性の胃腸炎かのどちらかであるかまで分かってきた。
リンパ腫であれば治療は抗ガン治療、好酸球性の胃腸炎であれば食事を変えたり場合によってはステロイドを使う。
どちらなのだろうか。。。
確定診断には試験開腹しかない。
実際にお腹を開けて異常部位を切除して病理検査に出す。するとどちらの病気なのかハッキリする。
確定診断を出して治療をスタートするのがベターだが、麻酔をかけるのに抵抗があれば、手術をしないで試験的にステロイドを投与して反応を見るというのも一つの手である。
もしこれが誰かの飼い猫であればそういった選択肢を提示しただろう。
この時、キャロルは13歳。年齢的にも麻酔をかけるのには抵抗があった。
しかし、
一方で獣医師として、しっかり自分の目で見て確かめたいという思いが私にはあった。
幸い内蔵の機能はしっかりしていたので、私は院長にお願いをしてキャロルの手術をすることにした。
つづく。。。
自分の猫の手術の時に獣医師が迷うこと
リンパ腫か好酸球性の胃腸炎か確定診断のために、キャロルの試験開腹を院長にお願いしたのだが、私にはまだ迷いがあった。
Tアニマルメディカルセンターでは避妊、去勢以外の手術は院長が執刀をして担当医が助手として手術に参加するのが一般的だった。
当然、自分の猫であるキャロルの手術の際、助手は私が入るべきなのだが、
キャロルのお腹を開けるなんて、、、、
動揺してちゃんとできなかったらどうしよう、、、、、
他の先生に助手をお願いしようかな、、、、、
人間でも外科医は自分の子供の手術には入らないって聞くし、、、、
などと散々迷ったのだが、やはり自分の目でしっかり現実を見ようと、意を決して助手に入ることにした。
そして迎えた手術当日の朝、「大丈夫だよ。一緒にいるからね。」
そうキャロルに言って麻酔をかけて手術はスタートした。
つづく。。。。
自分の猫の手術をしてみたところ・・・
リンパ腫なのか好酸球性の胃腸炎なのか、私の猫、キャロルの確定診断のための試験開腹。
静脈に麻酔薬を投与して、ウトウトしたキャロルに挿管をし毛刈りをして手術の下準備が終了した頃に院長がやってきた。
大丈夫だろうか、、、と不安でたまらなかったが、キャロルの身体にドレープがかけられて、お腹の一部しか見えない状態になり、ようやく私も平静になることができた。
お腹の皮膚をメスで切り開き、白線と呼ばれる腹筋の真ん中の白い部分を切って、腹腔に達した。
若いときの太っていた名残か、思いのほかキャロルの内蔵脂肪は多かった。
全体を見てみようとの院長の発言で、指を使って小腸をお腹の中から取り出しドレープの上に置いた。
小腸の全貌が見えた時、愕然とした。
小腸の周りにある腸間膜全体が浮腫を起こし、今までみたことがないような状態になっていた。
また腸間膜のリンパ節もかなり大きくなっていた。
これが患者さんの猫であれば、こういう状態だったのでこれからの予後は不良、厳しいでしょう、と伝えていただろう。
もうキャロルは無理かもしれない、、、、私は泣きそうになった。
つづく。。。
無事、試験開腹手術終了!
私の猫、キャロルの試験開腹手術。
あまりに酷いお腹の中の様子に泣きそうになった私。
幸いにもマスクをしているので私の表情は、術野を見ている院長にはわからなかっただろう。
「腫れているリンパ節の一つを切除。それから念のため退色している胃と腸の一部を切除してそれも病理検査に出そう」
そう院長は言って手早く手術を進めていった。
私は院長のペースに乗り遅れないように、手術部位を見やすくするようにサポートしたり、出血部をガーゼで押さえたりした。
麻酔の導入から手術が終わるまで1時間半位だったろうか。
あっという間の時間だった。
高齢での手術の時は麻酔から覚めるのが時間がかかったりするものだが、比較的キャロルは早くに目覚めた。
「よく頑張ったね。しばらく入院だよ。」
そう言って、まだ麻酔が覚めてぼーっとしているキャロルの頭を撫でた。
病理の結果がでるのはおよそ2週間。
それまでキャロルは持つだろうか、、、私は心配だった。
つづく。。。
愛猫の病理検査の結果
手術後数日間、キャロルは入院していた。
胃と腸の手術をしているので翌日にはご飯はあげられなかったが、術後吐かないのを見てご飯をあげることにした。
好酸球性の胃腸炎の可能性も考えて、ご飯はアレルギー用のフードをあげてみた。
驚いたことに、術後ほとんど彼女は吐かなくなっていた。
手術といっても、検査のための材料を採取するだけで治療はしていなのだが、とりあえず吐かずにご飯を食べてくれて私はホッとした。
そして術後10日目、病理検査の結果がでた。
結果は、、、、
好酸球性の胃腸炎
リンパ節は反応性の過形成で腫れていたことがわかった。
とりあえず腫瘍(リンパ腫)でなくて良かった。。。と私は肩をなでおろした。
そして好酸球性の胃腸炎であれば、食事に反応して吐いている可能性が高いので、フードをアレルギー用にしてこのまま様子を見ることにした。
つづく。。。
愛猫の体質改善をするために考えた方法
手術という刺激が良かったのか、術後1か月くらいは、キャロルはアレルギー用のフードを食べていたら殆ど吐かなくなった。
良かった~~~
と胸をなでおろしていたのも、つかの間、季節の変わり目になりまたキャロルは吐くようになってしまった。
根本が好酸球性の胃腸炎だからか普通の吐き気止めを与えてもあまり良くはないが、ステロイドを使うと途端に良くなる。
ステロイドは長期使用していると副作用もあるので、なるべく副作用が出ないようにと思って使用していたが、このままでいいのだろうか??
という疑問が私には出てきた。
確かにステロイドは効果がある、しかしそれは症状を抑えているだけのこと。
何か根本的な治療はできないだろうか??
と思った時に私は獣医学生時代にいくつか実習に行った動物病院で漢方をメインに治療をしていた病院があるのを思い出した。
そうだ、漢方だったらうまく体質改善してステロイドを使わなくても済むかも!!
そう思った私は、その病院に連絡をしてキャロルを診てもらうことにした。
つづく。。。
獣医学生の就職活動とは
動物病院に就職しようと思っている獣医学生の場合、動物病院に実習へ行って、就職先を決めるのが一般的である。
実習といっても学生なのでほとんど何もできないから、動物病院見学に毛が生えた程度、掃除やちょっとした雑用などをする位である。
その動物病院で過ごす中で、求人票ではわからない、実際にはどのような診療をしているのか、スタッフの人間関係はどんな感じかなどを見て、そして最後に院長先生と面接をして、、、というのが獣医学生の就職活動である。
大学は北海道だったが、就職先は実家のある東京近辺でと私は思っていたので、夏休みや冬休みに実家に戻ってきたときに色々な動物病院に実習に行った。
大学時代は将来は開業しようと思っていたので、実習に行ったときには必ず、そこの動物病院がどんな感じだったか、いいなと思ったところとか、動物病院の見取り図までノートに記録していた。
私が実習をした動物病院はおよそ20件弱だったが、そのうちの一つに漢方をメインにして治療をしている病院があった。
そこにキャロルを連れて行こうと思い、電話をしてみた。
「以前、そちらに実習で伺ったことがある獣医師のKですけど、私の猫が具合が悪くて漢方での治療をしたいのでそちらに伺いたいのですけど、、、」と電話をした。
実習に行ってから5年も経っていたが、院長先生は覚えてくれていて、ぜひいらっしゃいと言ってくれたので私は嬉しかった。
そして次の休みの日にキャロルを連れていくことにした。
つづく。。。
獣医師のヘッドハンティング
大学生時代に実習に行った漢方をメインに治療をしている動物病院にキャロルを連れて行き、今までのいきさつを私は話した。
普通の病院であれば、今の状態を知るために血液検査などをするのだが、先生は検査はせずにキャロルの身体検査(視診、触診、聴診)をして「まずはこのお薬で2週間、様子を見てみましょう」と言い、漢方薬を処方してくれた。
院長先生は年配の女性の先生で話しやすかったこともあり、私は今は埼玉のTアニマルメディカルセンターという比較的大きな病院に勤めていること、そして自分自身、西洋医学の治療の限界を感じ始めていることも話した。
「だったら、うちで働かない?代診の先生が近いうちに辞める予定なんで人を探そうと思っていたところなのよ」と最後に先生は言った。
突然の申し出に私はビックリした。
即答はできなかったので「ちょっと考えさせてください」と答えた。
キャロルの病気を漢方で良くしてあげようと思い病院を訪れたのに、突然のヘッドハンティング(?)に私はドキドキしてしまった。
つづく。。。
愛猫が見つけてきた新しい就職先
キャロルの病状は漢方を始めてから、西洋医学の薬のようにピタリと吐き気が止まることはなかったが、以前に比べて少し吐く回数は減ってきた。
キャロルの病状よりも、うちの病院で働かないか?と言われたことの方が私は気になっていた。
西洋医学の限界、漢方への興味、そして何よりも常勤の獣医師としてトップの位置に立っていることへのストレスが大きく、私は漢方の病院へ転職することを考え始めた。
そして2回目にキャロルを連れていったときに、ここで働かせてくださいとお願いをした。
ただ、もともといたTアニマルメディカルセンターをすぐに辞めることはできなかったため、5月の繁忙期が終わった後、6月より漢方の病院へ転職することにした。
学生時代、この病院に実習で来たときに「東洋医学を学んでいる方が、西洋医学だけを学んでいる獣医師よりも良い治療ができるのよ」と院長先生が言っていたことが思い出され、これから学ぶ漢方に私はワクワクしていた。
しかし、この先にまさかの大どんでん返しが潜んでいようとはこの時の私は知る由もなかった。。。
つづく。。。。
新しい病院で感じた不安
Tアニマルメディカルセンターを5月末に退社し6月から漢方をメインに治療をしているM動物病院に入社した私の生活は一変して変わった。
Tアニマルメディカルセンターは獣医師が常時7~8人、看護師も同じ位いて、一日の外来数は100件近く。非常に忙しい病院だったため診察終了は19時だったがその時間に終わることはまずなかった。終電間際も珍しくない。
しかしM動物病院は院長先生ともうじき辞めるという代診の先生、そして新しく入った私。看護師はいなく、一日に来る外来の数も数えるほど。10件にも満たなかった。外科手術もほとんどなかった。
そんな感じだから外来が来ない時間も多く、のんびり紅茶を飲んで漢方の本を読んで勉強をしている時が多かった。
今までだったら診察時間に座ることといったら、顕微鏡を覗いている時くらいだったので見違えるくらいの差。もちろん紅茶を飲む時間もない。
私の仕事はといえば、漢方は初心者だったので院内の掃除、病院で飼っている猫のお世話とたま~に必要な採血の保定ぐらいでほとんど今までの技術が生かされることはなかった。
院長先生の診察の時には立ち会ってどんな症例にどんな漢方を出すかを見ていたが、西洋医学のように、この病気の時にはこの漢方という感じではなく、個々の体質や気質を加味して漢方を処方しているようなので、よくわからないことが多かった。
入ってすぐは漢方は奥が深くて面白いし、ここでの仕事は楽でいいなと思っていたが、しばらくすると今までの自分が全く生かされず、何だか不安な感じと物足りなさを感じ始めた。
そんな時に院長先生から話があるのだけれど、、、と呼び止められた。
つづく。。。。
院長先生から出た衝撃の一言
漢方メインで治療をしているM動物病院へ転職して、もうすぐ1か月になろうかという時に、私は院長先生に話があるのだけれど、、、と仕事後に呼び止められた。
その日は、もともといる代診の先生がお休みの日で、院長先生と私だけの日だった。
「あなたには、この病院にいるのはもったいないんじゃないかしら。元の病院ではもっと診察していたでしょ。」
開口一番の院長先生の言葉だった。
そりゃ、そうかもしれないけど、漢方を学びたくて私はこの病院に来たわけで、、、私の頭の中ではそんな返答が出ていた。院長先生は何を言いたいんだろう???私には院長先生のその言葉の真意がわからなかった。
「もったいないと思うのよねぇ。もといたTアニマルメディカルセンターには戻れないのかしら」
!!!!
私の頭の中にはビックリマークが出て、何を言っているんだ、この人は、、、と私は思った。
「いえ、もう無理だし、戻る気はないんですけど」と私はボソッと言った。
「でも、ここにいるのはもったいないわよ。やっぱり戻った方がいいんじゃない。行く先がないなら紹介もできるし。もう明日から来なくていいわよ」
院長先生はサラッと言った。
あまりのことに私は言葉を失った。
つづく。。。
1か月経たずに解雇された理由
私の何が悪かったのだろう?もう明日から来なくてもいいと言われるようなことは何もなかった。
むしろ、まだ働き出して1か月も経っていないし、ミスをするような機会さえも与えられなかったというのが事実だった。
一体どうして、、、、
そんな風に考えていた時に、はたと思い出したことがあった。
働き出して2週間位経ったとき、ちょうど従妹の結婚式が土曜日にあり、私はお休みを取らせてもらった。
休みを取った後の出勤日の時に、私は院長先生から、土曜日に休みを取ると大変だから、なるべくこれからは土曜日には休みを取らないで欲しいということを言われた。
おそらくその時には今後も私が勤務しているという想定があったからの発言だったと思う。
そして、翌週、もともと私が休みで代診の先生と院長先生が2人の日があり、翌日の私と院長先生の2人の日に明日から来なくていいと言われた。
私がいない日(代診の先生と院長先生が二人の日)に何か事態が変わったのではと私は思った。
もともと代診の先生が辞めるから、、、ということで私はその病院に入社したが代診の先生が辞めるような様子は見られず、おそらくは代診の先生がこれからもこの病院にいるということになり、私が不要になったのではないだろうかと私は予測した。
しかし、これは後から考えてわかったことで「明日から来なくていい」と言われたことがあまりにもショックで私の思考は停止していた。
「こういう場合は職業安定所に行くといいわよ」と最後に院長先生は私に告げた。
そんなのわかっとるわーーーーと心の中で私は叫び、荷物をまとめて病院を後にした。
翌日に職業安定所に私は訪れ、給付金の手続きをしつつ、職業安定所なんかに獣医師の募集なんてないだろうと思って募集要項を見たときにたまたま見つけたのがW動物病院だった。
そう、私はW動物病院で倒産、全社員解雇となる前の動物病院でも、わずか1か月で首を切られていたのである。
私にとってこの病院のことは消してしまいたい過去だったので忘れていた。。。
つづく。。。
人生、何が起こるかわからない
1か月経たないときに「明日から来なくていいから」と言われ、そして次の病院では倒産、解雇。つくづく人生って何が起こるかわからないんだなぁとこの時は思った。
私の家系は母方も父方も自営業家系だったのだが、以前、叔父が経営していた設計事務所を閉鎖するときに「人生、何が起こるかわからないんじゃ」と言っていたのが思い出された。
その時はよくわからなかったが、今ならよくわかる。
自分が悪いわけではないけど、世間の荒波(?)というヤツにもまれて思ってもみないことが起こるのが人生なのだ。
とりあえず前を向いて進まないと、起業計画書を書き始めていたが、病院を作るためのテナントが見つからないとなあ、、、、と思っていた時に1本の電話が鳴った。
いい物件がでたら教えてくださいと言っていた不動産屋さんからだった。
「お探しの物件が見つかりました。1階で駐車場もあって、この間より広めの約15坪の物件です」
おおっ!!
ついに見つかった?!
私はドキドキしながら内見する日を待つことになった。
つづく。。。
想像が創造される
「欲しいものを考えてごらん、それがきっといつの日か手に入る。望めば叶うんだよ。」私はそういって小さな頃、父に言われたことを記憶している。
獣医師になりたい!!って強く思ったから獣医師になれたし、猫を飼いたいとずっと思っていたから猫を飼うことができた。
時間はかかるにせよ、強く自分で思ったことは叶うはずだと私はなんとなく体感していた。
だから、病院を開業しよう!と思った時には頭の中で病院をイメージしていた。
よく見慣れた患者さんが入り口を開けて入ってくる、そして茶色のシックな壁のある受付で私が白衣を来て微笑んでいる、「ありがとうございます。来て頂いて嬉しいです」そんな風景を。
不動産屋さんが見つけてくれた物件はきれいな感じの2階建てのアパートの1階。テナントが3件入っていて向かって右側が美容室、左側が洋食屋。その真ん中の物件がちょうど空いたのだとのこと。
通りに面した部分は全面ガラス貼りだったが、引き渡した後で半透明のビニールシートがかかっていたので中の様子は見れなかった。
鍵があるので入れますので、、、と言って不動産屋さんが入り口を開けてくれた。
え。。。。
私は目を見開いて動けなかった。
1歩中に入ると、そこには私がイメージしていた通りの茶色の大きな壁があったのだ。
「以前はカフェだったんですが、お客さんのいる空間と厨房を仕切るための壁が綺麗だったんで、そのまま残っているんです」と不動産屋さんが教えてくれた。
想像が創造される。
まさに私のイメージ通り。
やっと見つかった!!私は心の中で叫んでいた。
つづく。。。
理想的なテナント
そのテナントは坪数にして約15坪。私が希望した通りの大きさだった。
駐車場がテナントの横にあり2台借りられ、家賃は駐車場代込みで15万円以下、これまた希望通り!!
バス通りに面していて近くには公園もある。また働いているW動物病院からも大きな公園を挟んで歩いて10分はかからない。
まさに理想的な場所!!
そして、想像通りの茶色の壁があった。
私は迷うことなく、ここで開業しよう!!と決めた。
開業場所が見つかり、起業計画書の筆も進むようになってきた。
テナントの内装
テナントが見つかった後にすることと言えば、次は内装を考えることである。
テナントを仕切って待合室や診察室を作ったり、イメージカラーだったり雰囲気をどうするかなど考えねばならない。当時私は動物病院の写真や内装、見取り図が載っている本を買って、イメージを膨らませていた。
昔から、家やマンションの設計図を見たりするのは大好きだった。一時は設計士になろうかと思っていたぐらいで、高校生の頃には夢のマイホームの設計図をいくつも書いていた。
なので、私が見つけたテナントをどのように仕切って使おうかというのはすぐに思いついた。
そのテナントは茶色の壁を隔てて大きく空間が二つに分かれていて、また奥に小さいキッチンがついていた。
そこで私は入り口入ってすぐ、茶色の壁の手前に待合室と受付、診察室にして奥の空間に処置室(兼オペ室)、レントゲン室にして奥のキッチンがある部分を入院室にすればいいのではないかと考えた。
普通、動物病院の診察室というのは壁に仕切られて外からは見えないのが一般的だが、私の考えた案だと待合室だけでなく診察室も外から大きなガラス越しに見えるようになる。
人それぞれの考え方によると思うが、私は見られることに対して抵抗がなかったのとガラス越しで外が見えるのは解放感があって気持ちがいいと思ったのでそうすることにした。
そこで内装業者の方にイメージを伝えて実際に設計図を書いてもらって見積もりを作ってもらうことにした。
動物病院はレントゲン室を作ったり、ちょっと特殊なので、内装は動物病院を専門にやっている業者にお願いをするのが一般的である。私は以前N先輩に教えてもらった内装業者に連絡を取り、実際にテナントを見てもらって要望を伝えた。
相みつってみつ豆の一種??
N先輩に内装業者を教えてもらった時に「医療機器もそうだけど、内装も相見積を取らないとだめだよ」と私は言われた。
「あいみつ???」
私の頭の中にはアイスクリームが乗った美味しそうなみつ豆が浮かんでいた。
私の頭の中を察したのかN先輩は「相見積っていうのは、別の業者でも見積もりを取ることだよ。1つの業者だけだとそれが適正価格かどうかわからないでしょ。」と言われた。
なるほど。確かにそうである。
特に医療器械だったり、内装工事だったりものすごくお金がかかるものではあればあるほど、きちんと正しい価格で、
いや、、、、
少しでも安くいいものを購入したいと思う。これ本音ですよね。
そこで私は動物病院の内装や設計図が載っている本の最後についている広告欄を見て、見積もり無料と書いてある設計事務所に連絡を取り、相見積を取ることにした。
院長室はどうしますか??
当時の私を振り返ると、昼間はW動物病院で雇われ院長として働き、仕事後は開業準備のため、打ち合わせだったり、起業計画書をひたすら書いていた。W動物病院は小さな病院だったので、入院患者も少なく、仕事が終わると自分の時間が比較的あったのが救いだった。
本で見つけた設計事務所の人との打ち合わせも、仕事の後に私が借りる予定のテナントで行った。
テナントを一通り見終わった後、ヒアリングのため、いくつか質問をさせてくださいと言われた。
診察室はいくつ必要ですか?
診察室に手洗いは必要ですか?
など要するに設計するために必要な事柄のヒアリング。
そこで忘れもしない質問が
「院長室は作りますか?」だった。
院長室、、、、なんて考えたことない。。。。
というか最低限のこのテナントで院長室は必要ないし作るスペースもない。
もちろん必要ありません。と答えたが、そうか。世の中には院長室ってものもあるんだな、、、、と気づいた。
とりあえず自分の要望を伝えて設計図と見積もりができあがるのを待つことになった。
動物病院の名前
会社にしろ、お店をやるにしろ、新しく何かを立ち上げたときにはその名称を起業した人が考えるのが一般的である。
私も自分の動物病院を作ろうと決めた時に、動物病院の名前をどうしようか???と考えた。
昔ながらに自分の苗字や名前を動物病院につけるのはダサいしな~~と思い、私の運命を変えた猫、キャロルの名前から「キャロル動物病院」とか公園がすぐそばだから「パークサイド動物病院」とか色々考え、紙に書いていた。
しかし、どれもいまひとつでピンと来ない。。。
そんな折、N先輩が紹介してくれた内装業者さんが設計図と見積もりができたのでと連絡をくれた。
A3サイズの設計図には私の希望通りの位置に待合室やレントゲン室、入院室などが配置されていた。そして紙の片隅にT動物病院(仮)新築工事と書かれていた。
T動物病院???Tはその地域の名称であったが、それはないでしょ!!と私は思った。
というのもT動物病院という名前の動物病院が既に存在していたからである。それだけではない、そのT動物病院は以前、居抜きでどうですか?と不動産屋さんに勧められた問題があってつぶれた動物病院の名前だったからである。もちろん内装業者さんはそんなことは知らず、書いたのだろうけど。。。
「設計図、ありがとうございます。良いと思います。ただ、このT動物病院というのだけ変えてもらえますか?この名前の動物病院があるんで、、、」と、どうしても名前の部分が気になった私は内装業者さんに伝えた。
「そうだったんですね。それは失礼しました」と内装業者さんは言ってくれて再度、設計図を提出してくれた。
そこには、こうご動物病院(仮)新築工事と書かれていた。
向後って、漢字だと固い感じで微妙だと思たけど、ひらがなだと柔らかい感じでかわいいかも、、、
しかも、こうごなんて珍しい苗字だから同じ名前の動物病院なんてないだろう、、
ネットで念のため調べてみたが、やはりない。
これならば、と思い私はその設計図を見て、動物病院の名前を「こうご動物病院」にすることに決めた。
何かを選ぶときには何かを捨てるとき
N先輩の教えてくれた内装業者さんの設計図が出来上がった後、しばらくして、相見積を取っていた設計事務所の方の設計図もできたということで再度の打ち合わせがあった。
それはプロの設計士さんが作った設計図で、2パターン作られていた。
たった15坪という限られた空間で、私の要望が叶えられた動物病院の見取り図が2パターンもあるのに私は驚いた。なるほど、、、こういう空間の利用の仕方もあるのかと。
そしてその設計図通りに病院を作った場合の内装費の目安もついていた。
N先輩が教えてくれた内装業者さんとの見積もりを比べるとだいぶお高い。。。
そしてプロの設計士さんが設計図を作っているので当然のことながら、設計費用もそこには入っていた。
ちょっと考えてまたご連絡をしますね。と私は答えて設計図を持ち帰った。
考えると答えたものの、やはり自分が思っていた動物病院の見取り図の方がしっくりくるというのと、値段的なものも考えてN先輩の教えてくれた内装業者さんにお願いすることに私は決めた。
そして相見積を取った設計士さんにお断りのお電話をした。
病院を見に来て私の要望を聞き入れて、考えて設計図を書いてくれたのに申し訳ない、、、そういう気持ちでいっぱいだった。
何かを選ぶときには何かを捨てなければならないのだとこの時、思った。
私が開業を選んだということは何かを捨てなければならないのか、、、
何を私は捨てることになるのだろう。。。
自分の自由な時間かもしれない。。
結婚かもしれない。。。
そんなことを、ふと思い、少し寂しい気持ちになった。
起業計画書を作成する時に避けられないもの
仕事が終わると、夜な夜な書いている起業計画書。
動物病院の理念や起業の目的、動機などについては考えながらも楽しく書くことができていた。
私はもともと文学部心理学科卒。基本は文系なので文章を書くことはそんなに苦ではなかった。
しかし、、、
私が最も苦手とするもの。
それは数字。。。
起業計画書を書く際に避けられないものとして収支の計算がある。
月々、かかる支出と収益予想。
いったいどうやって数字を組み立てればいいのか???
分からなかった私は、雇われ院長をしているW動物病院でのデータを集めることにした。
売り上げ、月の患者数をエクセルで表に入れて、グラフ化した。
私が起業計画書を書いていた2008年10月の外来件数は303件、そして売り上げはおよそ170万円。
その2年前の2006年10月、まだ私がW動物病院に来る前、別の獣医師が院長をしていた時は、外来件数は166件、売り上げはおよそ70万円だった。私が院長になってから、患者数も売り上げも右肩上がりだった。
しかし、この先、私が開業をしたら、今と同じ位、患者さんが来てくれて、売り上げもあがるのだろうか?
答えはNOだろう。
そんな簡単に今と同じようになるわけではないと私は思った。
そもそもW動物病院はWという大きなペット向けの複合施設にある。
そこには動物病院以外にもペットショップやドッグカフェ、トリミングサロン、ドッグランなどもある。
何かに来たついでに動物病院に寄っているという人も少なからずいる。
今まで病院に来ていた患者さん全てが来るはずはない、、、
しっかりとそこを考えて予測を立てないと、と慎重派の私は思った。
単価が上昇する原因は?
そこで、今の患者さんのおよそ35%が減るという予測のもと来院件数を考えることにした。
・・・ちなみに35%という数字には何も根拠がない。な~~んとなくそのぐらいかな、と思いそうした。
(この辺がO型でしょ!とよく他人から言われるところか、、、本当はA型なのに)
単価についても同様に過去のデータから考えることにした。2006年の単価が5780円、2007年が5796円、そして2008年が6627円という数値だった。
2007年から2008年での単価の上昇が明らかに大きい。
これは何故か?
いろいろ考えて、私は単価が増加したのは手術件数が増加したためだと推測した。
患者さんの病院によせる信頼性が増すに従い、手術件数も増加する傾向があるのではと私は考えた。手術は単価が高い。ゆえに手術件数が増加すると必然的に単価が上がる。
単価については余裕を見て考えて2006年の数値、単価5780円ということで売り上げ予想を立てた。
1日の売り上げは外来数に単価を掛ければでる。それに1か月の診察日をかけることで1か月の売り上げ。
それを12倍したものが1年間の売り上げとなる。
ざっくりした計算はこれでできる。
数字が苦手な私にしてはうまく収益予測を立てたものだと私はほくそ笑んだ。
春までには開業をしたい
起業計画書を書きながら、1月12日にW動物病院が閉鎖になった後、いつ開業できるだろうか?と私は考え始めた。時は既に11月半ば。
場所は見つかった。
必要な医療器械については見積もり作成中。
先立つお金ついては、この起業計画書が通れば融資が実行されるはずだが、書き終わらないと提出もできないため、いつ開業できるかの目処が立たずという状態だった。
でも、なるべく早くに開業しないと!!!
と私は内心焦っていた。
4月前までには開業したい!!と私は強く思っていた。
通院中の患者さんのためにもなるべく早くの開業を目指していたが、私が4月前までにはとこだわっていた理由はもう一つある。
それは、4月になると狂犬病予防やノミ・マダニ予防などがスタートするからだ。
健康なワンちゃんでも必ず動物病院に行く季節、それが春、4月からなのだ。
どこの動物病院でも4月、5月の来院件数は圧倒的に多い。
春の予防の4月に私の病院ができていなかったら、、、、
きっと今まで診ていた患者さんは別の病院へ行ってしまう。
早く開業しなければ、、、、と私は内心焦っていた。
融資の金額はどうするか?
この頃になると、なんとなく開業するために必要な金額がだいぶ見えてきた。
店舗を取得するために必要な資金(家賃×5か月分)でおよそ100万円。
内装工事費、およそ600万円。
医療機器、およそ600万円。
それから運転資金。
たとえ患者さんが来なかったとしても人件費だったり、家賃はかかるわけで、月々に
かかるであろう費用と私の生活費を考えて1か月だいたい80万円は必要で、それの5か月分として約400万円の運転資金が必要で、、、、
結局、およそ1700万円ぐらいが必要だということが私の計算上ではわかった。
はて、、、私の貯金は、、、、
お金は銀行に預けていて、普通預金と定期預金、それから月1万円でなんとなく貯めている外貨預金。
合わせると、総額700万円くらいあった。
意外と貯めていたんだ~~、やるじゃん、私と思ったが、1000万円足りない。
私は融資金額を1000万円と決めて起業計画書を書き進めていった。
犬の鍼治療
そんな折、N先輩より、入院している犬の鍼治療をしに病院に来て欲しいとメールが入った。
犬の鍼治療は最近はできる先生も増えて珍しくはなくなってきたが、当時はまだまだ珍しかった。
動物の鍼治療については、私は獣医学部の学生の頃より興味があり、独学で勉強していた。4歳離れた妹が当時、鍼灸師になるべく鍼灸学校に通っていた影響もあった。
獣医師になって将来は動物病院を開業しようと思って入った獣医学部だったが、動物病院を開業するには大きなお金がかかると知った時、犬や猫の鍼灸治療をする動物病院ならお金もかからずに開業できるのではないかとぼんやりながらも学生の頃の私は思っていた。
それに犬や猫の鍼灸治療は珍しいから面白いとも思っていた。
人とは違う、変わっていることが好きな自分らしい考え方だった。
しかし、卒業して普通の動物病院に勤務して私が独学で勉強した鍼灸治療は全く生かされずに過ごしていたのだが、W動物病院にきて鍼灸治療ができるチャンスがあり、私は鍼灸治療をするようになっていた。
2か月の猶予
私がW動物病院に入社した時にいた院長先生は鍼治療ができる先生だった。当時の私は独学で動物の鍼灸治療については勉強していたが、実際に動物に鍼をうったことはなかった。
高齢になって足腰が弱くなって歩けなくなっていたゴールデンレトリバーに院長先生が鍼治療をするのを私は横で見ていた。はじめのうち、変化はなかったが、3回目位の時か、今までは飼い主さんに抱きかかえられてくるような状態だったゴールデンレトリバーが自分の足で歩いて病院まで来れるようになったのである。まじかで見ていた私はビックリした。鍼治療でこんなに良くなるんだと、、、、。
そこから私も鍼治療を実際にするようになっていった。いきなり患者さんの犬で治療をすることはできなかったのでWのテーマパークにいた獣医さんにお願いしてパークにいる犬で鍼治療をさせてもらった。独学での知識と、パークの犬での実地の鍼治療を踏んで私は少しずつ鍼治療をするようになっていった。
そんな折、友人の獣医師より六本木にあるペットショップ付属の動物病院で鍼治療をできる先生を探しているとのことで私に白羽の矢が立った。
当時、私はW動物病院の雇われ院長で休みが火曜日と水曜日だった。その休みのいずれかで六本木の動物病院で鍼治療をしてもらえないか?との話だった。
六本木の病院!!
しかも聞けば土地柄か、芸能人が来たりする病院だとのこと。
ミーハーな私はこの話を引き受けたいと思った。
しかし、正直なところ、私はまだ自分の技術に自信がなかった。。。
そこで、「鍼治療の技能を上げるために2か月間だけ猶予をもらってからにしたい」ということを伝えた。
先方がOKしてくれたので、私は2か月間の実地練習ののち、週一回、火曜日だけ六本木の動物病院で鍼治療専任の獣医師として働くことになった。
こういったいきさつがあって鍼治療をしていたが、それを覚えていてくれたN先輩より鍼治療のオファーがきたのだ。N先輩には開業の相談で色々お世話になっているのもあり二つ返事でこたえて、私は休みの日に再びN先輩の病院へ向かった。
私は1000万円借りる価値がある人間か?
ちょうどN先輩の病院へ向かう頃には一通りの起業計画書も完成していたので、鍼治療の道具とともに起業計画書も持って私は向かった。
まずはN先輩から頼まれた犬の鍼治療。
骨折の手術の後、リハビリで入院しているという中型の雑種の犬だった。
私はいつも通りに鍼治療をし、終わった後に起業計画書を見て欲しいと先輩にお願いした。
先輩は素速いスピードで私の起業計画書を見ると、こういった。
「全体的によく書けていると思うよ。ただ、Kさんはこの計画書をもって1000万円借りようとしているんだよね?。そうであれば、この計画書を見てKさんが1000万円貸しても大丈夫っていう、まぁ、保証みたいなものがあった方がいいと思うのだけど。」
なるほど。
確かにこの書類を出して私は1000万円という多額な金額を借りようとしているのだから、それなりの保証、つまり1000万円貸したとしても、ちゃんと返せますよということをわかってもらえる必要はあるなと思った。
そして先輩はこう続けた。
「そうだなぁ、、、会社の社長とかにそういうのを一筆書いてもらったらどうだろうか?」と
ん???
私はその言葉に違和感を覚えた。
潰れる会社の社長のいうことなんてあまり信頼がおけないのでは、と。
「そうですね。。。考えます」とだけ私は答えて帰路についた。